|
[ 鬱、躁、否定形鬱、躁鬱混合 ]
|
ようやくこの日記を書ける気がしました。 昨夏のことを私の体験談として説明せねば、 あの頃の私のことも、これから先の私のことも、理解されないだろう。
「理解」と書いたが、この病気になったことがない人が正しく理解できるはずがない。 そういう病気なのか、と思っていただきたい。 男性に生理痛や陣痛は説明は出来ても実感できないので理解できない。 逆に、男性が急所を打った時の痛みは女性にはわからない。 父のリウマチも、実感としての理解、という意味では誰にも出来ない。
それをふまえて読んでいただきたい。
去年2月。私は3度目の入院から退院した。 自分では「退院」ではなく「引退」だ、と言っていた。 それほど回復していたし、 週3回の掃除のシルバーさん、月〜金の夕食のシルバーさん、ベビーシッターさんという強力な味方をつけて 10ヶ月もの間ベビーホームで生活をし続けた陽菜を取り戻して、保育園に通わせつつ また4人で生活できることに自信を持っていた。
4月。 とにかく眠かった。家族が出かけるとずっと眠りこけていた。 せっかく一人の時間を過ごせるようになったのに。 アルコール依存は、様々な紅茶、フレーバーティー、ハーブティーで何とか克服した。 お気に入りのお茶を飲みながら、レコードを聴いたり、槇原敬之DVDをみたり、 出来る範囲の家事もやりたいと思っていたのに、何もできない。 頭皮の脂漏性湿疹も痒くて痒くてイライラした。
5月。 風呂上りなどにシッターさんがいようとも私にまとわりついてくる子供たちの前で湿疹の塗り薬を、髪をかき分けて頭皮全体に塗ることは不可能。 「塗りたい」「見せて」と言ってくる。 ついにスキンヘッドにした。 精神科では「アモキサン」を出してもらって日中起きて、自分の時間が取れるようになった。 おそらくそのあたりから躁が出始めたのではないかと思う。 子どもが生まれてから約5年。 ようやく手に入れた自分だけの時間。 もっともっと、自分の時間が欲しい。元来一人の時間を有意義に過ごすことは大好きなので拍車がかかって、躁が来たのだろう。
日に日に子どもの帰る時間が憂鬱になった。 泣く声が、胃にキリキリ来た。 笑い声さえもうっとうしく思えた。 とにかく子どもが家にいるという事でイライラするようになった。 そして、下旬に家出。
6月。 平塚では、初めは入院の代わりの休養と考えていた。 それを証拠に、真っ先に出かけたのは鎌倉。 早朝に車で出かけ、座禅体験、写経体験をし、体力を考えて帰ろうとした。 帰りの車、信号待ちで平塚にメールを入れようとした。 信号が青に変わる。後ろにはたくさんの車。 急発進で右折した。中央分離帯の縁石に乗り上げてタイヤは破裂した。 (人身事故だったら、と想像すると怖い。幸い車の故障で済んだのは座禅と写経の帰り道だったからと今は都合よく考える) 精神不安定な人物が、車など運転するな、と禁止命令が出た。 車無しで鎌倉のとても詳しいガイドブックに載っている寺に通うのは厳しい。 相当な距離を歩かねばならないし、 座禅体験などは早朝に行われるものだ。
しかし、育児の体力を残さずに、自分のためだけに時間も体力も使えるというのは非常に気持ちが良かった。
私は出かけやすい区域(主に横浜)に遊びに行くようになった。 「鬱の辛さを解消するために、自分の時間を自由に過ごすのは治療でしょ?」 それが躁鬱混合状態の人間の言い分。 遊んでいる間は完全に躁状態である。 遊び疲れると、鬱が倍になって帰ってくる。 それを解消するためにさらに遊ぼうと考える。 さらに鬱が・・・・・・・。
7月。 平塚への家出でも私の鬱の辛さの波は収まらなかった。 週に一度(通院日は疲れるので水曜日)外泊することになった。 (混合状態の私は当然。だまって宿で休むことはなかった) だから、やはり鬱の辛さの波は収まらない。 ついに、主人が別居を考えてくれた。 自宅に近所。6畳風呂無しトイレ共同。 7月の日記を今一度読み直していただきたい。 私はこのとき、真面目に生きようとしていたことだけは知っていて欲しい。
そのフルキャストでの電話営業が、私の手榴弾のピンを抜いた。 鬱で、営業向きではない人間に電話営業なんて精神的苦痛が多すぎた。 二度目の仕事で、早退した。 フルキャストにも、電話営業の会社にも迷惑をかけた。 育児も家事も出来ずに逃げてきて、私にはもう、何も出来ない。
「うつ病とは自殺予防の自助作用」という考え方がある。 何もかもやる気がなく、死にたいとは言うものの、自殺する気力さえないのだ。 7月15日。 躁鬱混合状態から、完全な鬱状態に落ちた。 そういうときが一番危ない。 息子の誕生日場目前に迫っていることも分かっていながら、家にあった睡眠薬を全て飲んだ。
気づくと主人が(日曜日だったので)救急内科に連れて行ってくれた。 次に気づくと、ベッドの上で点滴をしていた。 次には、二人で入院荷物をまとめていつもの精神科へ行った。
初めから、死ぬつもりなんか無かった。 だから、現代の睡眠薬は死ねないことを知っていて、 「わがままだ」という周囲に「死にたいくらい辛いのだ」ということを見せ付けてやりたかったのだ。
現実的にのこったのは、約二ヶ月にも渡る副作用だった。
2008/01/26(Sat)
|
|